世の中にはたくさんの愛の物語があります。しかし、父なる神のイエス・キリスト様による愛は、たとえようもないほど大きく、深い愛は他に並ぶものはありません。イエス様が十字架上で示された燃えるような愛は、今のこの瞬間も、これからも私たちに絶え間なく注がれています。そして、この世の誰ひとりとして、その注がれた愛からもれる者はいません。私たちがこの世の誰からも愛されていないように思っても、私たちはその存在ごと愛されています。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43・4)
私たちが神から向けられたその愛に手を伸ばすなら、私たちはこの世を司る王なる王の子として迎えられるのです。ここに物乞いから神の王女として再生した、一人の女性の生きた証があります。
ミギョンが中国にいた頃、姑が彼女を教会に連れて行ってくれていました。教会はとても懐かしく、魂 物乞いから王なる神の娘とされた、私の証を分かち合います。私の名前は、キム・チヨンと申し、33才になります。北朝鮮の咸鏡北道の最北端の村で、貧しい家庭の一人娘として生まれました。私の父が神経繊維腫症を患っていたため、その遺伝で私の顔は生まれつき歪み、容姿に恵まれませんでした。また、私が5才の時に父が病気で亡くなり、母も障害を持っていたので、母は娘の私を養い、守ることができませんでした。
1990年代の北朝鮮は、政府の食糧供給麻痺により、国民は大量餓死にさらされました。まだ幼かった私は、生きながらえるために家を出て放浪し、道端で物乞いをしていました。私のような浮浪児たちを北朝鮮では、コチェビ(語源はロシア語)と呼ばれていますが、近年はストリート・チルドレンだけでなく、職や住居を失くした浮浪者全体を意味します。北朝鮮政府はコチェビたちを完全に放置しています。私が居た村は国境都市だったので、人混みの中で食べ物を探し、やがて私は豆満江を渡って中国に入りました。中国に入ると路上には多くの食べ物が落ちていたので、物乞いでさえ豊かに生きることができました。けれども、食べることができても私を愛し、抱きしめてくれる家族はいません。それどころか、私の言葉すら受け入れる人がいない異国での私は、まるで道端に転がっている小石のような存在でしかありませんでした。
私のような境遇の寂しい小さな生命たちが集まり、いつしか異邦人放浪者の群れが生まれ、親しく付き合うようになりました。私たちは肩を寄せ合い、互いに分かち合いながら成長し、仕事も探しました。生命の息吹は私を捨てることはありませんでした。しかし大きく成長できなかった私は、小さな体のまま、中国で15才になっていました。北間島(白頭山北の旧満州地帯)の凍てつく冬を越え、新芽が萌ゆる春が来ると、私の冷えた心まで溶かしたように、胸の何処かに隠れていた望郷の思いに駆られました。今となっては消息さえも分からない母への恋しさで胸がいっぱいになりました。
私は「お母さんに会いたい。」との一心で、足はいつのまにか故郷北朝鮮へ向かっていました。勇気を奮い立たせて豆満江を再び渡り、祖国に着くと自ら警察に出頭しました。その頃の私は、国家警察がどんなに不道理な場所とは知らず、祖国を捨てたという罪を償うべく自首しました。警察は私がまだ幼い少女であろうと、容赦無く冷たい鉄格子に閉じ込めました。調査過程で娘の消息を受けて、母が訪ねて来ました。恋しかった母を見ると嬉しくて、私の胸は高鳴りました。しかし、母は私に「お前はどうして帰って来たんだ。中国にそのままいれば良いものを。死ぬためにここに戻って来たのか!」と言い放ちました。私が思い描いていた再会と現実は、あまりにもかけ離れていました。お母さん、私はただあなたに抱き締めて欲しかった、私を見て喜んで欲しかった。けれども今、母親となった私は、その時の母の気持ちが痛いほど理解できるようになりました。母はどんなに娘に会いたかったことか。本当は嬉しくて、駆け寄って抱き締めたかった。だけど帰って来ても、飢えに苦しみ、死を待つだけのこの国で、ましてや体の不自由な自分は、娘に何一つしてあげることができない。せめて娘には生き続けて欲しい、それならば冷たく突き放すしかない。それが母の本心であり、それが娘への切なくも精一杯の愛のかたちでした。その後、私の身柄は少年教化所へ送られ、強制労働を強いられた後、ようやく釈放されました。私は愛や慰めを誰からも受けられず、この大地の全てが干からびて見えました。一切の未練を捨て、再び河を渡り、祖国をあとにし、中国大陸に人生を任せることにしました。もう、どうでもよかったのです。
何の望みもなく、中国に渡った私はあてもなくさまよい、案の定、人身売買に引っかかりました。漢民族の母親が息子のためにと私を選んで買いました。その母親が、何故私を選び、買ったかというと、年若いが、いちばん綺麗でないから選択したと言いました。容姿が綺麗な女たちは逃走する恐れがあるとのことでした。私を買い取ったその漢民族の家庭は、裕福ではありませんでしたが、その夫と呼ぶ人は心の優しい人でした。最初は打ち解けることがなかった夫が、心を次第に開き始め、その夫との間に男の子を授かり、幸い子どもたちには私のような父からの病気の遺伝はなく、きれいな顔をして生まれてくれました。母となった私は、子どもたちに愛を注ぎ、その母性愛でこの家族の嫁となり、夫と舅姑に仕えることが日常となりました。ずっとひとりだった私が皮肉にも、人身売買で買い取られた家族によって、家庭というものを知り、孤独な人生から救われたのです。このようなことは望んではいなかったのですが、自分にも生きる未来があると思うようになりました。
(名前は全て仮名です)(つづく)
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