北朝鮮からの叫び47

神の証人となった家族(中編)

家族の新たな一歩

北朝鮮が最も食糧難であった1996年の春、クォンヌンは生まれ、祖父母と両親、2人の姉に囲まれて育ちました。貧しく、いつも飢えに苦しむ家庭でありながら、クォンヌンはたくましく、心優しい少年となりました。かつて北朝鮮の政府高官であった祖父は、反動分子としての烙印を押されました。それゆえ人目を避けるかのように、中国国境の山奥で暮らすようになりました。また、祖父の娘であるクォンヌンの叔母は、夫の祖父が牧師であったという理由で、幼い子どもたちも一緒に、政治犯収容所に収監されました。伯父夫婦も中国との貿易の仕事で、聖書に触れたという理由だけで処刑されました。北朝鮮国家は国民から生きる糧や自由を奪うだけでなく、大切な人々も容赦無く奪っていきました。

そんな一家を絶望から希望へと変え、彼らに生きる力を与えたのは、かすかに聴こえるラジオの声でした。海外から流れる福音ラジオ放送は、耳をすませて聴く彼らにとって国家による洗脳を解き、自由と夢を与え、イエス・キリストの良き知らせを教えるものでした。父は未来ある子どもたちのために、一家で亡命しようと綿密な計画を立てていました。やがて衰弱し切った祖父母が相次いで亡くなりましたが、祖母は密かにキリスト教を信仰していました。祖父母を見送り、残された家族は、木々に覆い尽くされた森の中で人知れず、新たなる一歩を踏み出そうとしていました。

「さよなら」さえ言えない

2008年10月、クォンヌンが12才の秋、大量餓死は次第に深刻さを増し、国内の全てが麻痺し、学校もしばしば閉鎖されました。クォンヌンは学校へ行く日より、山羊と過ごす時間の方が多くなりました。山羊に草を最大限に食べさせてこそ、その日家族全員が山羊の乳にありつけました。昼間は山羊を放牧しながら、砂の上で漢字の勉強をし、夜は月明かりの下で、友だちと思いっきり走り回り遊びました。友だちは学校へ行けない寂しさや、お腹が空いていたことさえ忘れさせてくれる存在でした。大好きな友だちとの別れもすぐそこに迫り、もう彼らとは二度と会えないことが、クォンヌンには受け入れ難いことでした。それは、後々の過酷な旅路よりも、いつまでも続き、悲しい辛い痛みです。

父はとうとう長い準備を経て、豆満江を渡り、祖国を後にしました。家族全員での脱北は、より危険が伴い、見つかれば一家全員が公開処刑となります。父は自分が家族のために道筋を作っておき、後から来る妻や子どもたちを先導できるようにと、自らが先駆けとなりました。家族を残し、たった一人での生命がけの旅は、決して平坦ではなく、その旅路は血と涙で滲んだ道でありました。父がようやく大韓民国へ入国し、次はいよいよ母と姉(次女)、そして、クォンヌンが北朝鮮を離れる時となりました。クォンヌンはずっと仲良しだった友だちに、ありがとうも、さよならさえも言うことができず、彼らの前から黙って姿を消すこととなりました。

太陽は雲の上に

まだ明るい陽の光がさす昼下がり、母と姉、クォンヌンの3人は、豆満江の国境沿線を目指して、4時間以上歩き続けなければなりませんでした。ところが、豆満江の国境沿線には監視警戒所を数ヶ所通過しなければならず、通行証が必要でしたが、彼らは通行証を持ってはいませんでした。だんだんと監視警戒所が近くにつれ、3人は不安と恐怖で身震いしました。ところが、先ほどまで雲ひとつ無い青空に、彼ら3人が警戒所に近づいた途端、神様は大雨を降らせました。大雨は降っているのに、太陽はその雨雲の上に燦々と輝き続けています。監視警戒所の軍人たちは突然の大雨に驚き、監視業務の傍ら農作業をしている軍人たちは、収穫したばかりの大豆の束を濡らさないように大慌てでした。その間にクォンヌンたちは、すばやく監視警戒所を通り過ぎることができました。結局、3ヶ所通らなければならなかった全ての監視警戒所に、同じ奇跡が繰り返されました。通行証一つ持たなかった彼らに、神様は力強い味方でいて下さいました。それは、どんなに厚い雲が空を覆っても、太陽は決して失くならないように、この先、どのような試練の雲がこの一家を覆っても、父なる神様は決して彼らから離れず、必ず共にいて下さることを暗示しているかのようでした。

神の御腕が動くとき

3人は案内人であるブローカーと落ち合い、無事に豆満江付近に到着しました。明るかった陽はすっかり沈み、あたりは暗闇で静まり返っていました。韓国から父は、3人のために仲介者を通して現地ブローカーを雇い、この時までは妻子たちの状況を把握することができていました。ところが、いざ彼らが豆満江を渡ろうとした時、連絡を待っていた父に仲介者からの連絡が突然、途絶えてしまいました。その仲介者が自分の要求が通らないことを不服とし、ブローカーとの全ての連絡を断ってしまいました。父は慌てふためき、何もできない絶望の中で、韓国で通っている教会に連絡し、自分と連携している宣教師たちにもこの事実を知らせ、助けを求めました。韓国だけでなく、世界にいる多くの聖徒たちが3人のために心合わせて祈ってくれていました。生命の連絡網が途絶えても、とにかく3人は豆満江を渡ることにしました。冬前の冷たい河の流れは思った以上に速く、姉とクォンヌンは父から泳ぎの特訓を受けてはいたものの、それでも泳ぐには危険過ぎて、ましてや母は泳げませんでした。しかし、世界中の聖徒たちの祈りの炎が燃え上がり、神の御腕が動く瞬間がここにやって来ました。 

用北朝鮮の女性兵士

(つづく)(名前は全て仮名です)