まことの信仰は
"いのちは食べ物より大切であり、からだは着物より大切だからです。"
ルカの福音書 12章23節

まことの信仰は、神がすでにわたしたちの必要を知っておられるという知識から始まります。イエスは弟子たちに自分のために富を蓄えることが、どんなに虚しいか語られました。そして天父神の子である私たちは、食べ物や着る物などの生活の必要のために、心配してはならないと教えられました。しかし神を完全に信頼できないとき、さまざまな心配によって心は乱れてしまいます。では、「なぜ」私たちは心を騒がせるのでしょうか。
神の約束を忘れる
神は汚れた鳥とみなされていたカラスをも養われ、すぐに炉に投げ込まれる野の草をも装ってくださいます。ましてや父なる神は、神の子である私たちのすべての必要を知っておられます。そして、もっとも良い物で満たすことができる全能のお方です。イエスが「2匹の魚と5つのパン」で、男だけで5千人もの人々を養われたことを思い出してください。余ったパンだけでも12の籠にいっぱいになったことを思い出してください。聖書には他にも多くの祝福の約束があります。みことばへのまったき信頼が欠けていないでしょうか。では、「なぜ」みことばへの信頼に欠けるのでしょうか。
神の経験が乏しい
まことの信仰は、神にある経験を積むことによって成長します。それが信仰の確信となります。神の経験実績に乏しければ、いつまで経っても5歳児のままです。何年教会に通っても神を知ることはありません。信仰は難しいことではなく、いいえ、むしろシンプルです。
では、どうすれば良いでしょうか。それは主との交わりを深めることです。毎日、心を静めてディボーションを励行し、よく祈り、主からみことばをいただくことです。神の御霊はみことばを通して、私たちの心にお語りくださいます。そこで私たちは、神の約束を素直な心で受け止め、日常生活で実践ステップを踏み出すことです。すると神を知る不思議な経験が待っています。そのような積み重ねが、信仰の成長となります。神を信頼し、神の約束を経験すれば結果は見えてきます。
過去の記事
お気軽にお問い合わせください。06-6226-1334営業時間10:00~18:00(土日・祝日除く)
メールお問い合わせ