みことばを越えないこと
人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。
その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。
コリント人への手紙 第一 4章1、2節

人間の本性の一つに、自分を中心にという思いがあります。たとえば、団体集合写真です。写真を見るときに、最初に目に入ってくるのは、自分ではないでしょうか。人は自分をまず思い、自分を主張し自慢したがります。中には自画自賛し満足感を覚える人もいます。
主の働き
主の働きをする時も例外ではありません。私たちは主の働きをすると言いながら、知らないうちに自分を主張し、自慢したくなります。神だけに栄光をささげる人生を生きると言いながらも、いつの間にか神の栄光を奪い自分の栄光にしてしまいます。つまり人間の心の中には、自らを高くする高慢な思いが根深くあります。神のことばを越えて、自分の考えで問題を解決しようとすることは、自ら王になろうとする態度です。教会が人間中心になると、互いにさばき合うようになります。そうなると聖徒間で誤解が生じたり、傷つけ合ったりします。神のみことばから外れるならば、神の御心ではなく高慢が私たちを支配するようになってしまいます。
キリストのしもべ
今月のみことばは、私たちはキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきであると教えています。創造神は自己中の「かたまり」のような者を、神の奥義の管理者においてくださるとは、いったいどういうことでしょうか。それは神の一方的な恵みによります。であるならば、良き管理人として仕える条件は、ただ一つ「忠実」であることのみです。では、どこに基準を置くべきかと言えば、もちろん完全な神のみことばです。みことばの囲いの中に身を置き、みことばに照らして自分の不足を見つけなければなりません。そうすれば、自分のことを正しく知るようになり、神の無限の知恵の前で謙遜にさせられ、主の御心にお従いする者とされていきます。
私たちは聖書の「みことばを越えないこと」を、常に心に覚えなければなりません。
あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。
(詩篇 119篇105節)
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