目を開いてください
"私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。
あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。" 詩篇 119篇18節

サハ共和国・首都ヤクーツクの日曜学校で、子どもたちに福音が届けられる
聖書は、神の民を「旅人」や「寄留者」と呼んでいます。私たちは先が見えないため、長い旅路で疲れて座り込むことがあります。詩篇の詩人もまた、地では旅人だと告白します。しかし、この旅人には閉ざされた目がありました。彼は、みことばの美しさが見られず、魂が「ちり」に打ち伏して、立ち上がれない困難がありました。しかし彼は絶望せず、神に向かって叫びました。神はへりくだった者の目を開き、みことばの道を走らせる驚くべき「恵み」を、見せてくださいました。私たちが、学ぶべき点は二つあります。
目が開かれれば、主のことばの美しさが見える
詩人は「あなたのしもべに豊かに報いてください」と歌った直後、「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに」と祈ります。ここで「奇しいこと」とは、目が閉ざされて見えなかった「神のことばの力」を指しています。彼は自分を地では旅人と呼びながら、たましいが押しつぶされるほどと叫びました。
同じ聖書を読んでも、ある人は文字だけを読み、ある人はその背後にある神のみわざを見ます。その違いはみことばではなく、それを受け止める側の目にあります。罪は目を暗くし、みことばを単なる知識としてとどまらせます。しかし、霊的な目が開かれる瞬間、いつも読んでいた箇所が、生きた神の御声として迫ってきます。エリシャは祈ると、主が若者の目を開かれ、山に満ちる火の馬と戦車を見ました(第二列王記6:17)と記されています。このように、みことばの不思議も、目が開かれなければ見ることができないのです。
聖書を開く前に
同じみことばの前でも、目が閉ざされているならば神の力は見られません。たましいが罪に汚れているならば、一歩も進めません。しかし、ここに閉ざされた目を開き、死んだものを生き返らせるお方がおられます。私たちは、聖書を開く前に、私の目を開いて、「あなたのみおしえのうちにある奇しいこと」を、見させてくださいと祈ろうではありませんか。そして、もし心の疲れと重荷があるならば、正直に「みことばの通りに、私を生かしてください」と祈りましょう。閉ざされた目が開かれ、打ち伏しがれた魂が立ち上がる「恵み」を、経験させていただこうではありませんか。
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