霊性は日常の歩みで練られる
"わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。"
ヨシュア記 1章5節

アルメニアのある教会での聖餐式礼拝
霊的な人とは、どんな人でしょうか。 預言や異言を語る人でしょうか。パウロは、私たちのからだを生きた供え物として捧げることと言いました(ローマ12:1)。霊性は日常の日々を通して練られ、日常生活を通して現れます。
ヨセフは奴隷として売られましたが、絶望の淵から新しい歩みへと霊性が練られていきました。無実の罪で投獄され、閉ざされた状況で、開かれた天を見上げ、囚人たちとの歩みを経て霊性が練られていきました。度重なる苦難の歩みこそが、生きた供え物として捧げられた土台でした。 ダビデは羊を飼っていた時も、ゴリアテの前に立った時も、バテシェバとの間に生まれた最初の子が死んだ時も、日常の生活の中で起こりました。その人にとって、事の大小や損得でなく、神が置かれた日常生活に没頭する時に霊性が練られていくのです。
南アフリカのマンデラ元大統領は、牢獄で27年間過ごしましたが、牢獄は彼を破壊できませんでした。これは、かつてシベリヤの強制労働収容所に送られた聖徒たちも証言する事実です。 人生で最も偉大な栄光は、一度も失敗しないことではなく、失敗するたびに再び立ち上がるところにあります。悲痛や苦難の日々が、人の霊性を練り上げていくのです。そして美しい波紋を起こします。
私たちが置かれた日常の生活は、神が与えてくださった驚くべき霊性が練られる現場です。その日常生活から逃れてどこかへ行ったとしても、神から逃れることはできないと知っているならば、今ここにある現場こそが最高の霊性訓練の場であることに気づかされます。私たちの一挙一投足が神の目には映っています。日々の人生のすべての瞬間が、私の霊性が練られるための最高の瞬間です。
ですから、日常の生活に押しつぶされるのでなく、置かれた日常生活に没頭(忠実・従順)する歩みが大切です。日常生活の霊性が練り出す美しさ、そこから放たれる香りが神の国の証しとなります。主は日々の歩みの中で、「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ、雄々しくあれ。」(ヨシュア記1:5、6)と、語っておられます。今、あなたに何が求められているでしょうか…。
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