平安をくださる神

主は私を救ってくださる。

私たちは生きている日々の間、主の宮で琴を奏でよう。

イザヤ書 38章20節

スイス・アッペンツェラーランドの秋

人は人生において、抜け出せないようなトンネルの中を通ることがありますが、必ず出口はあります。もしその闇を経験しないならば、主がどれだけ誠実であるお方か深く覚えることはないでしょう。それは神の摂理です。

 苦難の中にいる聖徒には、喜びの日が待っています。ヒゼキヤ王は不治の病にかかりましたが、治ったときには神に対する感謝と賛美を詩として記しました。病を癒されたヒゼキヤは、苦しみを通して得た霊的恵みを分かち合いました。彼は苦難の中で、自分の罪を省み、悔い改め、罪の赦しと救いの恵みを経験しました。彼は命が延ばされ、この地で再び神を礼拝できる喜びを味わえることに感謝しました。そして、体と心(たましい)を救い、真の平安をくださった神を賛美し共同体に伝えました。神は苦難を許されますが、その後、平安も与えてくださいます。私たちに対する神の御心は、わざわいではなく、平安を与えるものです。預言者エレミヤは、創造神は善い神であると言いました。

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 エレミヤ書 29章11節

私たちはヒゼキヤ王からキリスト者の奥義を学ぶことができます。


1.経験の整理

ヒゼキヤ王の祈りは具体的でした。彼はひとつひとつの状態を、神に正直に告白しました。私たちも日々経験する事柄を、短い間隔で主の前に整理することは大切です。悔い改めるべきことは悔い改めることです。感謝すべきことは感謝することです。神に賛美すべきことは賛美することです。それは主との親しい交わりの時、心静めている時にできる幸いです。それは神を信じる者に与えられた特権です。

2.分かち合い

 ヒゼキヤ王は、真の平安を与えてくださった神を賛美しました。そして共同体に伝えました。私たちも互いに主のみわざを「分かち合う」ことは大切です。それによって互いに励ましと勇気をいただき、証しとなるのです。キリスト者は苦難の中でも前向きに歩むことができます。なぜなら、神は平安を与えてくださるお方だからです。



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