私は祈るばかりです
"私の賛美である神よ。沈黙しないでください。
私の愛に代えて 彼らは告発で応じます。私は祈るばかりです。 詩篇 109篇1、4節

ウクライナの教会、礼拝中にロシア軍の攻撃を受けた瞬間
詩篇109篇は、聖書の中で特に衝撃的な「呪いの詩」の一つとして知られています。ダビデは、「私は祈るばかりです。」という窮地に追い込まれました。その時のダビデ王は、強い王の姿ではありません。苦しみ、貧しく、心が傷ついていました。一人の人として、ダビデ王は神の御前へ、まっすぐに進みました。そして正直な告白をしました。それが彼の祈りでした。
1.ダビデの祈り
ダビデは敵の激しい攻撃の中で、口にしたことばは「私は祈るばかりです。」でした。原文では動詞がありません。直訳すると「私、祈り」です。つまり、自分自身の人生が、祈りそのものになったという意味です。彼の祈りはその後、「彼の日数はわずかとなり、子どもたちはみなしごとなり、妻はやもめとなりますように」(8節)、という激しい呪いの言葉でした。ダビデは、裏切られた傷や悔しさを、隠したり、飾ったりしませんでした。いいえ、彼は、ありのままを神の御前に注ぎ出しました。
まことの信仰は、飾ることはありません。正直な心で神に祈ります。神は、そのような祈りを受け止めてくださるほど、大いなるお方です。ダビデは神をそのように信じていました。私たちも、心の奥深くに潜む恥ずべき感情さえも、隠すことなく、全てを知っておられる神の御前に注ぎ出しましょう。神はお聞きくださり、理解し、お守りくださいます。
2.みことばは霊的教訓を与える
私たちは人生で、神が沈黙されたように感じる時も、偽りによって深く傷つけられた時も、涙とため息を、そのまま神の前に持っていきましょう。神は、私たちの最も正直な祈りを受け取ってくださるお方です。今日、私たちはダビデの「私は祈るばかりです。」を通して、神を信頼する人の信仰の姿を見ることができます。
①私たちは苦しみの中でも、神を賛美し歌うことができます。それは飾らず、素直な心から出る祈りです。神は遠くにおられません。いいえ、いつも近くで、側にいてくださいます。
②したがって自ら復讐せず、義なる神に完全に委ねることができます。
皆さん。ここに、私たちの信仰があります。今日もそのような神を信じ歩みましょう。
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