しかし、わたしはあなたのために祈りました

漁師であった使徒ペテロがイエス様と出会った時、彼はすぐに網を捨てて、イエス様についていきました(マタイ4:20)。イエス様との出会いは、それまでのペテロの人生の目的や価値観を変え、彼はイエス様の最も近しい弟子の一人として、模範的な信仰者のように見えました。しかし、そんな彼にも、自分の弱さを嫌というほど思い知り、自分自身に失望する人生のステージがありました。

「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61,62)

私たちもペテロのように、自分の罪や弱さに負け、神様を裏切ってしまった罪悪感と恥の中に、沈んでいくような経験があるのではないでしょうか。自分の弱さゆえにイエス様を否定したペテロと、自分の願いが届かず、イエス様から迷い出た今月の主人公―。天のお父様はそんな二人に、どのように触れて下さり、岩の上に教会を建てるような、確固たる信仰者たちへと変えて下さったのでしょうか。

違和感が確信へと変わるとき

北朝鮮の英雄を拝する人たち

現在、57歳のパク・ヨンスは北朝鮮と中国国境地帯の村で生まれました。聡明な両親の血を受け継いだヨンスは師範大学卒業後、軍の歴史教師として教鞭をとりつつ、国境での渡河や密輸行為も統制する任務を遂行していました。また、彼は国家が関与する密輸の利権にまで介入し、その過程で海外の書物に多く触れるようになりました。ヨンスは時折、保衛部からの任命で中国に密入国するようになり、それが彼の人生の転機となりました。これらの任務を通して、ヨンスは今まで感じたことのない国家への違和感が芽生え始めました。やがて、その違和感が確信へと変わった時、ヨンスは自由を求めて祖国を脱出しました。いざ北朝鮮を脱出すると、彼は保衛部や公安から追われ、逃亡生活を余儀なくされました。そんなヨンスが教会へと導かれ、そこで宣教師たちに出会いました。彼らはヨンスを匿いながら、イエス・キリストにある真理を教え、彼は熱心に聖書を学びました。真の自由はイエス・キリストを通してでなければ得られないことを知り、ヨンスはイエス様を救い主として心に迎え入れました。

思い描いていた奇跡は

神の国とその義を優先する者として、自らの人生を神に捧げる決意をした彼は、中国にいる脱北者たちに弟子訓練をし、彼らを宣教地へ派遣するリーダーへと変えられていきました。ところが、ヨンスがいた隠れ家に中国辺境隊が押し入り、彼は逮捕されました。彼は強制送還されずに、すぐに釈放されると考えていました。ヨンスは自分もペテロやパウロのように釈放されると確信し、彼は強制送還される瞬間でさえ、そう信じて疑いませんでした。しかし、彼が思い描いていた奇跡はいっこうに起こりませんでした。ヨンスは厳しい尋問を受け、米国と韓国の諜報部と連携したとして、スパイ容疑にかけられました。ここでも神様は彼が望む奇跡を見せて下さらず、ヨンスは次第に、信じていたキリストに疑念を抱くようになりました。「主よ。なぜ、あなたは私を助けては下さらないのですか。あなたは本当に存在されるお方ですか―」

鏡に映る神の愛

疲弊した彼の心から神への希望は完全に消え失せ、もう全てがどうでもよくなり、ヨンスは神を否定し始めました。彼の身柄は死刑囚監房に移され、極度の拷問の中で取り調べを受け、彼の体は拷問で受けた生傷が絶えず、そして、彼の心は依然として神から離れたままでした。ヨンスはそんなある日、小さな洗面台で血のついた顔をこすり洗いし、痛めつけられて上らなくなった首を何とか上げて、汚れた鏡を覗き込みました。鏡に映る自分の顔を見た瞬間、ヨンスの全身は震えました。彼の顔は血まみれでしたが、その自分の顔には言葉に表せない光が放たれ、平安に溢れた顔でした。それは確かに自分の顔ではあるけれども、明らかに天使の顔であったと今も彼は記憶しています。驚いたヨンスは、鏡に映るその輝いた顔にそっと尋ねました。「神を信じるか―」と。その顔は深い憐れみに満ちた目で、静かに頷き、その瞬間ヨンスの心は神への賛美に溢れました。

わたしはあなたのために祈りました

ヨンスは聖霊に導かれて悔い改め、再び信仰を取り戻しました。彼は中国でイエス・キリストを心に迎え、神に仕えていましたが、この北朝鮮での試練は、ヨンスの信仰を精錬するためでした。ようやく彼が待ち望んだ奇跡が起こされ、釈放は不可能だったにもかかわらず、彼は自由の身となりました。ヨンスは再び北朝鮮を脱出し、大韓民国に入国しました。彼は神学を修め、牧師按手を受け、現在は脱北民教会を開拓し、キリストの羊たちのために仕えています。

使徒ペテロやパク・ヨンスはなぜ、そのまま神から離れることなく、信仰を取り戻せたのでしょうか―。それはイエス様御自身が、彼らが信仰を失くすことがないように祈っておられたからです。

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ22:31,32)

そして、私たちも罪や失敗を犯してしまった時、信仰を失いそうな時、私たち全ての弱さを知っておられ大祭司なるイエス・キリストは、今日も私たち一人ひとりのために祈ってくださいます。キリストは御座から立ち上がり、とりなしなして下さるお方です。私たちも苦難の中にいる兄弟姉妹たちの信仰がなくならないように、祈ろうではありませんか。

イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。 (へブル7:25)

(名前は全て仮名) (つづく)

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