「奇跡の人(後編)」

飲み込んだ悲しみ

池成浩氏

冷たい冬の豆満江を渡った池成浩(チ・ソンホ)と弟は、中国大陸を経て、数万kmに及ぶ果てしない旅路につきました。左手足を失っているソンホは、松葉杖片手に暗く深いジャングルを夜通し歩き続けました。時には中国や東南アジア諸国の公安の影に怯えながら、幾度となくおとずれる身の危険を回避しました。旅の途中でソンホの脳裏をいつもよぎるのは、黙って自分を行かせてくれた妻の姿、まだかわいい盛りの幼い娘、そして、会えなくなってどのくらい経っただろうか、未だに消息不明の母と妹でした。兄弟はその後、難民を受け入れるタイで保護され、夢にまで見た大韓民国に到着しました。大韓民国に到着して一安心も束の間、ソンホはすぐに知人を通じて、娘との通話にこぎ着けました。1日たりとも忘れたことのない娘、高鳴る鼓動が電話の向こうにいる娘にも聞こえそうでした。しかし予想はしていたものの、彼女から発せられた言葉に胸が裂かれるようでした。

 「お父さんなんて大嫌い。」⋯、憎まれて当然でした。幼い娘がどんなに辛く、寂しい思いをしているのか、その一言で娘の全ての痛みが伝わってきました。その後、何度も妻や娘の消息を探ろうと試みましたが、妻から便りは一切なく、娘は他の家へ預けれられたと聞き、二人のことを思うと不安しかありませんでした。連携していた知人が捕まり、ソンホは長い間、娘の消息を知ることもできず、妻と娘を連れに祖国に帰ることもできませんでした。しかし、愛しい娘がもう既にこの世にいないことを、彼は後になって知りました。父親の自分が娘を置き去りにし、母親も消息が分からず、幼い娘はたったひとり、どんな思いで死んでいったのだろう―。涙が止めどなく溢れ、慟哭の中で自分を責め続け、妻や娘を置いて、ひとりここまで来て、いったい何の意味があったのか⋯。ソンホはやるせない気持ちに打ちひしがれました。誰もが自由を謳歌し、眩しく輝くこの国にいることが、彼を余計に辛くさせ、更なる絶望感へと追いやりました。

そんな彼に神は奇跡を見せて下さいました。死んだと思っていた母と妹との再会でした。母は放浪しながら、長い時間をかけて大韓民国に到着し、その数年後、中国でさまよっていた妹も大韓民国に到着しました。娘を亡くし、妻も生きているかどうか分からず、生きる希望を断たれたソンホにとってこの奇跡は、彼の真っ暗な心に一筋の光となりました。母と妹が生還しても、父と娘の亡骸さえこの胸に抱くこともできず、北の大地に二人を残したままだと思うと、ソンホたち一家はその深い悲しみをただ飲み込むしかありませんでした。

神の愛を語り継ぐ天使

その後、ソンホはソウルにある東国大学に進学しました。この大学でソンホは、ある青年に出会いました。ロバート・パクというその青年は、ソンホより1年下の韓国系アメリカ人で、アメリカ西部にある小さな村の教会から派遣された宣教師でした。彼の祖父母は第2次世界大戦後、金日成から迫害を受け、信仰を守るために北朝鮮からアメリカへ亡命しました。祖母は人生の最期の時に、この世を気ままに生きていたロバートを呼び、彼に神の愛と救いを伝え、愛しい孫に信仰の遺産を残して旅立ちました。祖母を通してイエス様に出会い、祖父母の熱い神への愛を受け継いだ青年は、聖書を片手にメキシコの貧民街を裸足で歩き、貧困救済と伝道に尽力を注ぎました。その後、神はロバートを祖父母の故郷である朝鮮半島へと導き、2008年に彼は大韓民国に派遣されました。そこで彼は脱北民伝道プログラムに参加し、脱北者の証言を通じて、初めて金独裁政権の実態を知りました。独裁の支配下で苦しみの中にある人々の痛みを、ロバートは誰よりも敏感に感じました。北朝鮮の人々が寒さと飢えに震えていると思うと、彼は自分も上着を着ることなく、涙の中で断食している人でした。ソンホはロバートと一緒にルームメイトとして暮らし、彼はソンホの心の痛みに寄り添うために、舞い降りてきた天使のようでした。祖母から神の愛を語り継がれたように、次はこの天使がその愛をソンホに語り継ぎました。ソンホはイエス・キリストを救い主として受け入れ、真の慰めを得ました。

誰もが奇跡の人

ソンホは大学で脱北学生たちと共に、北朝鮮人権サークルを作りました。この活動は2010年に発足した北朝鮮人権団体NAUHへと発展し、彼らは数百人の北朝鮮住民の脱北を成功へと導きました。その後、彼は一人でも多くの北朝鮮の弱者を助けたいという情熱で、政治家の道を経て、現在も人権活動家として活躍をしています。その傍ら、教会の執事として神の御国のためにも仕え、多忙な毎日をイエス様と共に歩んでいます。重度の障害をその身に負い、親もなく物乞いをしていた少年が、松葉杖片手に国境を越え、異国の地で政治家にまで登り詰め、弱者を助ける人へと変えられました。様々な苦難の中で何度も絶望に倒れ、涙も枯れ果てた心は、神の愛と希望の泉が沸き上がり、彼を立ち上がらせました。まさにチ・ソンホは、神の奇跡は存在するということを身を持って証明した人でした。

 私たちの人生の証は、ソンホのようなドラマチックなものではないかもしれません。けれども、私たち一人ひとりは神の御姿に造られ(創世記1:26)、今日もそれぞれが神の御手の中で生かされていることは、決して当たり前でなく奇跡です。そして、罪の中に沈み、霊的に死んだものであった私たちが、十字架の愛と赦しにより、どんな罪も赦され、聖いものとされ、聖霊が臨む人へと再生されます。それこそが、何よりも尊い奇跡ではないでしょうか。つまり、キリストにある私たち誰もが、奇跡の人です。

(つづく)

「私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。

あなたが力強い避け所だからです。」(詩編71:7)

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