「苦難が溢れても(後編)」

死んでも生きる一粒の麦

夫が政治犯収容所に連行され、幼い長女と茂山市の実家に戻ったオ・ヨンヒでしたが、彼女は長女をそのまま実家に残し、2人目の子を宿したまま豆満江を渡り、中国へ流れ着きました。彼女は身重であったにもかかわらず、人身売買によって中国朝鮮族の家族に売られ、そこで次女を出産しました。実家の母も残された長女と父のために、父の親戚を頼りに中国へ渡りましたが、誰からも助けを得ることはできませんでした。途方にくれていた母に、救いの手を差し伸べたのは、中国延吉市にあるキリスト教会でした。母はしばらくその教会に身を寄せ、そこで韓国人宣教師たちと出会いました。母は彼らを通してキリストの十字架の愛と赦しを知り、イエス様を心に迎えて生きる決意をしました。彼女は主にあって忠実に歩み続け、信仰を成長させ、宣教師訓練まで受けていました。しかし、突然母は病に倒れ、家族と再会することも叶わぬまま、あまりにも急いで天の故郷へ帰って行きました。この世での母の信仰人生は短いものでしたが、その信仰はのちに苦難の波に溺れる娘ヨンヒを救い出しました。彼女の信仰は、死んでも生き続ける一粒の麦のようでした。

誤算

母が中国で亡くなったことを知った父は、長女を連れて中国に入りました。父は噂を頼りに、ようやくヨンヒの居場所を探し出し、母の死を知らせました。母の葬儀は教会で執り行われ、多くの宣教師たちと共に母は見送らレました。その後、再び一家に別れが訪れました。ヨンヒは中国人の夫との間に子どもを宿し、出産を間近に控え、父たちと一緒に実家へ帰ることはできませんでした。愛しい長女とまた離れ離れになり、ヨンヒは悲しみをこらえながら、次女と中国に残り、男児を産みました。

しかし、父と長女の突然の出現が思わぬ誤算を招き、彼女を更なる苦悩へと追いやることになりました。この中国の家族は、ヨンヒを嫁として買った時、独り身なのに妊娠していた彼女を憐れに思い、情けをかけたにもかかわらず、実際はもう一人娘がいたことを知り、自分たちは騙されたと主張しました。この家系の血を引く、生まれたばかりの息子は彼女から取り上げられ、家族はヨンヒと次女を家から追い出しました。ヨンヒは産後間もない身で授乳中にもかかわらず、幼い娘と異国の寒空に放り出されました。乳飲み子と引き離された彼女は、母乳で石のように硬く張った胸の痛みと共に、行く当てもなく不安で胸が張り裂けそうでした。

繕うことができない現実

家もなく、汚れ切った、みすぼらしい母子に関心を持つ者は誰もいませんでした。結局、二人は中国公安に捕まり強制送還となりました。祖国は二人を容赦なく処罰し、寒さと恐怖の中、ヨンヒは幼い娘と引き離され、労働鍛錬所に収容されました。彼女は娘のためにも厳しい服役生活に耐え続け、何とか生きて釈放され娘を迎えに行くことができました。しかし、自由の身になっても、常に監視下に置かれ、遠く離れた茂山の父と長女のもとへ帰ることもできませんでした。生きる術のないヨンヒと次女は、再び寒く冷たい豆満江に入り、生命がけで中国に戻りました。

行き場は無くとも、食糧にありつけ、かつては長距離選手として、また労働鍛錬所で鍛えられたヨンヒは、たくましい母親に変わり自分の家を持ち、土地の人々と交流を持ち賃貸で食堂を開店させるまでになりました。商売も軌道に乗り、ヨンヒたちはようやく人間らしい生活を送ることができました。しかし、国籍のない娘を学校に行かせることもできず、再び公安に見つかってしまうと、次は二人の生命はありませんでした。いくら人並の幸せを掴んでも、生命の危機に晒されている現実を繕うものは何もありませんでした。結局、ヨンヒと次女は中国を後にすることになりました。

希望を謳う祈り

ヨンヒと娘は険しい長旅を経て、大韓民国到着を成功させることができました。彼女はハナ院修了後、自由と市民権を得て、ようやく怯えるものがない生活を手に入れました。次女が小学校に進学し、眩いばかりに成長していくその姿は、ヨンヒの希望と喜びでした。しかしそれと同時に、北朝鮮に残してきた長女に一目でいいから会いたい、という気持ちが募るばかりでした。韓国に来てから、父と長女への贖罪の痛みは更に深まり、彼女の心は悲鳴を上げていました。

また、ヨンヒは貯金していた全てのお金を騙し取られ、他人を信じることができなくなりました。その上、彼女は癌の診断を受け、再び苦難の波が押し寄せてきました。全てに疲れ果てすっかり生きる気力を失った彼女は、うつ病も発症し自殺未遂を起こしました。そんなヨンヒを死の淵から救い出したのは、一粒の麦となった母の信仰とハナ院で出会った脱北女性の存在でした。母は神と出会い人生が変えられ、母の最期の一息まで勝利と希望に溢れていたことを思い出しました。また、ハナ院で出会った女性は、自ら多くの苦難に揉まれながらも希望と平安に満ち溢れていました。この二人の背後におられるイエス・キリストに、ヨンヒの心は向かいました。その脱北女性は、弱々しく横たわるヨンヒに寄り添ってくれました。そして暗闇の中にいる彼女の手を引っ張り、光のもとへと連れ出してくれました。

北朝鮮の幼稚園児たち

今、ヨンヒはその女性と共に教会に集い、母のようにイエス様と目を合わせて歩き始めました。彼女は瞼の裏で、幼かった長女の面影を追い、涙の中で捧げる祈りが、いつの間にか、神を賛美していた母を思い、希望を謳う祈りの声へと変えられていきました。そして、ヨンヒはこう告白します。今の自分が生きる理由は、全てを捨ててまで自分を愛して下さったイエス・キリストのためであると―。

 私たちは今日、苦しみの嵐の中にいるとしても、荒れ狂う雨風を見るのではありません。天を見上げ、そしてイエス様を見上げましょう。ヨンヒのように希望を謳い、どんなに苦難が溢れても、主への愛を告白できるような御業が起こされます。

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。

わたしはあなたを助け出そう。

あなたはわたしをあがめよう。」 (詩編50:15)

(名前は全て仮名)(つづく)

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