荒野に立つ教会(前編)
出エジプト記のイスラエルの民たちのように、脱北者たちが幾日もかけて回り道をし、目指した大韓民国は彼らにとって約束の地、カナンになるはずでした。苦労の末、北朝鮮という名のエジプトから脱出し、彼らを受け入れてくれた国で市民権を回復させ、生まれて初めて自由を獲得しました。彼らの多くがようやく幸せを掴めると信じて行き着いた地は、幻想であったと気づきました。大韓民国は脱北者たちにとってカナンではなく、新たな痛みを与える荒野に過ぎませんでした。彼らにとって本当のカナンの地は、イエス・キリストの福音によって再生する祖国であり、やがて帰る天のふるさとであり、どちらもまだ見ぬ遠い地であります。本当のカナンを目指すまで、一人のディアスポラなる男性が、この荒野で教会を建て始めました。今月と来月号は、教会を建て上げるまでの彼の思い、そして、彼が目指す教会のビジョンについてのストーリーをお届けします。
「絶対神」
私が兄と呼んでいるその人にとって、神という存在は物心がついた時から金日成しかありませんでした。託児所や幼稚園でさえ、子どもたちに与えられる食事やおやつの全ては、金日成の恵みだと教えられ「敬愛する金日成のお父様、ありがとうございます。」と小さな手を合わせる幼子たちの姿がありました。9才になると、共産主義少年団に入団させられ、その頃から金日成への忠誠宣誓を植え付けられました。毎週金曜日には金日成についての学び、土曜日は金日成の写真の前で自らを戒め、また、いかに金日成に対する忠誠心が欠けていたかと友だちを批判し、互いを批判し合う批判大会が行われ、金日成への忠誠を新たに決意させられるという週末でした。
14才になると、全員が金日成青年同盟に強制加入させられ、依然と生活統制と忠誠を誓うことを余儀なくされました。17才になると無条件に軍隊に入隊させられ、この青春時代の10年間は、米国、日本、大韓民国を主敵と見なした殺人的な軍事訓練に明け暮れ、更なる金日成崇拝思想の洗脳を浴び続けました。金日成は絶対神であり、金政権と党のために人生を捧げ尽くすことが、その頃の兄の生きる世界でした。けれども、真の神なる方はこの虚偽の世界から兄を目覚めさせ、彼を立ち上がらせ、兄の上に御心を起こそうとされていました。
真逆のシナリオ
自分の信じてきた世界が、虚像に過ぎないと兄が気付いたのは、1990年代に約300万人が生命を落とした大量餓死でした。金政権はこの大量餓死は、西側諸国の圧力と攻撃によるものであると国民たちに吹聴しました。これは明らかに、独裁政権の歪みから来る結果だと誰もが分かりそうなことであっても、国民たちは国家や党の言うことを鵜呑みにし、信じて疑いませんでした。「忠誠の限りを尽くした我々の未来は、やがては完成した共産主義国家となって永遠に生きることができるゆえ、通り雨のようなこの苦しみは、一時的なものに過ぎない」と、北朝鮮国民は心に吹き込まれました。
彼らは空腹の苦しみを洩らすことも許されず、痛いことは痛いと表現する自由さえ奪われ続け、何も言わずにひたすら耐えることしか許されませんでした。ところが、洗脳によって思い描いていたシナリオとは真逆に、事態は悪化するばかりで、兄も自分の愛する身近な人たちが飢餓によって次々と生命を落とす地獄を目の当たりにしました。それと同時に、外部からの情報を得るようになった兄は、国家によって歪曲されていた事実を知り、ようやく洗脳から目が覚めました。
イエス・キリストと歩むなら
そこはカナンの地
兄のこの覚醒が彼を祖国から脱出させ、中国大陸へと導きました。中国では犬さえも食べないような食べ物でも、思う存分食べました。しかしそれは束の間の天国のようでした。数日間夢中になり食べて、飲んで、元気を取り戻したら、忘れていた現実を思い起こし我に返りました。無残にも命を落とした者たちや祖国に残してきた家族のことを思うと、心が痛み悲しみに暮れました。また、強制送還の危機にも直面し、恐れの感情も沸き上がり、皮肉にも祖国北朝鮮で押さえつけられていた痛みや悲しみ、恐れなどを感じる様々な感情が溢れ出ました。そのような中で、神との人格的な出会いが多くの脱北者たちに起こりました。紆余曲折を経て、ようやく大韓民国に到着しますが、喜びや安堵感も束の間、溢れるほどの食べ物を口にするたびに、食べることもままならない祖国の家族に対しての罪悪感に苛まれます。祖国の家族に再会したくて、恋しくてたまらなくても、隣国の家族にさえ会うことができない現実を実感します。それに加えて韓国社会で適応することの困難も覚え、むしろ新たな痛みが伴います。
そんな兄や他の脱北者たちを支えるのは、イエス・キリストの存在です。イエス様から少しでも視線を外せば、すぐに痛みがやって来ます。何処にいても伴うこの痛みは、実は神の恵みです。この痛みがあるからこそ、彼らは天のお父様の隠れ場に身を寄せ愛と平安を体感することができます。そして、兄はこの痛みと悲しみを、喜びに変える奇跡を起こす者になろうと考えました。イエス・キリストだけが平安の源なる方であり、イエス様と共に歩む日々こそ自分が何処にいようとも、そこはカナンの地となるその思いが大韓民国なるこの荒野に、教会を建てるよう兄を駆り立てました。
平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ眠りにつきます。
主よ。あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。
(詩編4:8)

(次号につづく)
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