受ける者から与える者へ ―愛のバトン―
ある脱北者の兄弟が、筆者にこんなことを語りました。「私たちは何も持たずに脱北して、神から、人々から、多くのものを与えられてきました。でも、これからは私たち脱北者が、もはや与えられる人ではなく、与える人にならなければ」と―。
神は確かにこの言葉通り、北朝鮮の聖徒たちを受けるだけの存在ではなく、人々のために自らを与えるディアスポラとして選ばれました。時には、それがさらなる険しい十字架の道へと導くことになろうとも、彼らは今日も何処かで、神から受けた愛をバトンのように人々に繋いでいます。今月は、実際にそんな十字架の道を選んだ一人の女性の生きた証をお届けします。
母の涙の祈り
35歳になったキム・ジヘの心にいつもあるのは、懐かしい故郷です。そこは北朝鮮中部都市の咸興で、賑やかで古い歴史がある街並みでした。けれども、ジヘが3歳から7歳の頃、その美しかった街並みも、人々の素朴な暮らしも、北朝鮮全土を襲った大量餓死で一変してしまいました。ジヘの幼い妹は餓死し、父も栄養失調から結核を患い亡くなりました。母は残された娘だけは守ろうと、幼いジヘを預けて、中国へ食料調達に行きました。しかし、母も多くの脱北女性たちと同様に、中国で人身売買ビジネスに巻き込まれてしまいました。売られた身となった母は、あらゆる苦労を強いられましたが、そんな中で、九死に一生を得て、脱出することができました。母は遠く大韓民国まで逃れ、母娘は北と南に引き離されました。
大韓民国の市民権を得た母は、ジヘも北朝鮮から脱出させようと必死で働いて稼ぎ、娘のための逃走資金を蓄え、何年もかけて娘の脱北に備える準備をしました。父と妹を亡くし、母とも生き別れになった孤独な少女が15歳になった時、全ての道が整いました。ジヘはようやく母に会える喜びに胸が高鳴り、母が準備してくれた資金と道標をたどり、ひとり祖国を出ることにしました。イエス・キリストへの信仰を既に持っていた母は、娘の危険な旅の間、全身全霊で娘のために祈り続けました。天のお父様はそんな母の涙の祈りに応えて下さり、ジヘは無事に大韓民国に入国することができました。
悔い改めが導いた召命
新しい人生が始まり、夢にまで描いていた母との生活が待ち遠しいジヘは、しばらく国家情報院の保護下に置かれました。その頃、彼女は日曜日に教会の礼拝に参加するようになりました。ある日曜礼拝で、いつものように賛美をしていたとき、彼女は突然、自分が罪人である実感が湧いてきました。誰かに何かを言われた訳でもなく、聖霊が突然彼女の心に臨まれ、次々と罪を示して下さいました。ジヘはそれまで、自分が罪人とは考えたことはなかったのですが、自分は神からの赦しを必要としている存在に過ぎないことを知りました。自らの罪を告白し、この悔い改めにより、彼女はイエス様と出会いました。そして、この悔い改めこそ、ジヘがキリストの真のしもべとして生きる召命に導いてくれました。やがて母との暮らしが始まり、母娘は揃って教会に通い、喜びを持って神に仕えるようになりました。ジヘは教会で忠実に仕えながら大学に進学し、大学卒業後、教会で出会った韓国人男性と結婚しました。やがて子どもたちが生まれ、優しい夫とかわいい子どもたちに囲まれ、穏やかで幸せな家庭生活に恵まれました。家事や育児に追われる多忙な毎日であっても、彼女はキリストのしもべとしての召命を決して忘れませんでした。
受ける者から与える者へ―愛のバトン
ある時、ジヘは夫と共に、世界で最も多くの宣教師たちを中東へ輩出している宣教会の集まりに参加しました。この宣教会で、彼女はイスラエルや中東に対する、神の特別な御思いを悟りました。神は深い愛でイスラエルという民族を選ばれ、彼らのたましいが生ける真の神キリストに帰還することを、どれほど待っておられるか―。また、中東のムスリムたちに対して、イエス・キリストこそ道であり、真理であり、それゆえに真の自由を彼らが得ることを、どれほど願っておられるか―。ジヘと夫はそのことを彼らに伝えるべく、中東宣教師として献身する道へ導かれました。彼らは3人の幼い子どもを連れて、一家全員で中東諸国へ短期宣教に行き、訓練課程を終えました。彼女は初の脱北民中東宣教師として、来年3月から某国へ家族揃って派遣されることになりました。ジヘは現在、4人目の出産を控えていますが、祈りの中で出産と宣教の準備に励んでいます。
3人の小さい子どもがいて、出産も控えているキム・ジヘが、子育てに安全で快適な場所を捨て、厳しい環境下に子どもたちと共に、我が身を置くのは何故でしょうか。私たちは時々、この世の常識に捕らわれてしまいがちです。そして、神の道を自らで制限してしまい、全能なる神への信仰を何処かに忘れてしまう傾向があります。しかし、天のお父様は先に常識というものを打ち破り、かつては敵対者であった者のために御自身の愛する一人息子をささげて下さいました。私たちはそのような天のお父様に、また生命を捨てて下さったイエス様に、自分の何を与えることができるでしょうか。私たち誰もが、自分たちの全てを神にささげ尽くしても、神が与えて下さった偉大な愛に届くことは決してありません。けれども、私たちがあらゆる言い訳やこの世の常識よりも、愛と信仰を選びます。そして、自らを与えるものへと変えられる時、天ではどれだけの歓声が沸き上がることでしょうか。その道は、キム・ジヘが神から受けた愛のバトンを、ムスリムに繋ぐという使命です。

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。" (ヨハネの手紙 第一 4章10節)
(名前は全て仮名)(つづく)
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