ドイツ

欧州大家族連盟(ELFAC)は、ドイツ出身のキリスト教信仰に篤い一家を「2025年欧州大家族賞」に選出しました。受賞したのは、ホンブルク在住のフォルカー・ザイツさんとクリスティアーネ・ザイツさん夫妻で、10人の実子と1人の里子と共に暮らしています。同連盟はこの称号の授与により、ザイツ一家を「ヨーロッパにおける家族的価値観の傑出した大使であり、大家族が地域社会や社会全体に与える良い影響を示す印象深い模範」として称えています。

一家の生活の柱は、福音主義教会およびホンブルク福音主義都市宣教団での奉仕活動です。家族全員で、子ども向け休暇プログラム、音楽活動、家族向けイベント、地域行事に貢献してきました。医師であるクリスティアーネ・ザイツさんは、2020年にホンブルクで支援者らと共に、全国的な取り組み「10月3日 — ドイツは歌う」の地元イベントを組織しました。ELFACの発表によれば、大家族は6,000万人の欧州市民を代表していると言います。

ザイツ大家族

ユダヤ人でありながらイエスを救い主と信じる人々は、「メシアニック・ジュー」と呼ばれています。ドイツ全土で活動する宣教団体「ベイト・サル・シャローム」代表ウラジミール・ピクマン師は、その一人です。彼はユダヤ人としてのアイデンティティを保ちながら、イエス・キリストの福音を宣べ伝えています。ピクマン師は、旧ソ連キーウ(現在のウクライナ)で生まれ育ちました。彼の家族は三代にわたり無神論者でした。親戚の大家族の中で、ユダヤ人でない人は誰一人知りませんでした。しかし、ユダヤ人でありながらも、神を信じる人は誰一人知りませんでした。何も信じていないユダヤ人もユダヤ人であり続けます。そしてイエスをメシアとして信じるユダヤ人もまた、ユダヤ人であり続けるのです。その彼がどのように信仰に導かれたかは、長いストーリーです。子どもの頃、彼は多くの反ユダヤ主義を経験しました。ユダヤ人として学校でいじめられました。同級生たちは彼に「イスラエルへ行け!」と言いました。しかし、彼はイスラエルへ行きたくありませんでした。何しろ彼はソビエト生まれの少年であったからでした。しかし、ソビエト連邦が終わりを迎えたとき、ユダヤ人が出国する扉が開かれました。数学を学ぶ学生として、彼はイスラエルに住みたいと強く願う確信的なシオニストになりました。そこで、彼は1991年に出国しました。幸せになるために必要なのは、イスラエルで他のユダヤ人たちの中で暮らすことだけだと思っていました。

その頃のことを振り返り、彼は「イスラエルは素晴らしかったですが、私は幸せではありませんでした。私の魂には平和がありませんでした。私は嫉妬深く、妬みを抱いていました。赦すことは私にとって難しいことでした。」と言います。イスラエルでもキーウと同じように不満でした。彼はガザ近郊のキブツで働き、その後数週間してから、彼はエルサレムへ行きました。そして「嘆きの壁」の前に立った時、彼は大きな感動に圧倒されました。壁に手を当てると、突然、神が存在することを悟りました。それが神との最初の出会いでした。それは言葉で言い表せない圧倒的な体験でした。ピクマン師の回心は、ユダヤ人特有の入信劇であります。現在、そのような「メシアニック・ジュー」による集会は、推測ですが次のようです。全世界で最大150万人、内訳としては、アメリカ 175,000~250,000人、イスラエル 30,000~35,000人、ドイツ 約3,000人、オーストリア 100人未満、スイス 数十人です。

ウラジミール・ピクマン師(左)

パキスタン

パキスタンの裁判所は、盲目のカトリック教徒ナディーム・ユサフ氏を冒涜罪の容疑から無罪としました。51歳の同氏は10か月間拘留されて、死刑を科される恐れがありました。これは、訴訟費用を負担した人権団体「クリスチャン・ソリダリティ・インターナショナル」(CSI)の報道です。
 ユサフ氏は、ラホールで秤を扱う小さな店を営んでいました。CSIによれば、彼の土地を狙っていた不動産投資家によって冒涜罪で告発されました。パキスタンでは神への冒涜は重大犯罪とされ、死刑が科される可能性があります。CSIの見解によれば、この告発は宗教的少数派に圧力をかけたり、財産を奪ったりするために繰り返し意図的に用いられています。どうぞ、お祈りください。

ナイジェリア

国土の中央に位置するプラトー州では、キリスト教徒の村々がどこかで襲撃されない日はほとんどないほどです。今のナイジェリア国は、キリスト教徒にとって世界で最も危険な国の一つとされています。次はその一例です。

 深夜二時頃、重武装集団がキリスト教徒の村カウェルを襲撃しました。彼らは家々に押し入り、そこで眠っていた住民たちを見境なく殺害していきました。犠牲者の中には子どもや高齢者、さらには妊婦も含まれています。通報を受けた治安部隊が現場に到着したのは夜明けになってからで、虐殺を防ぐには遅すぎました。それは、まさに凄まじい惨状でした。

 また、村の診療所も暴力から逃れることはできませんでした。襲撃者たちは、そこで6人の患者を殺害しました。その時、臨月を迎え陣痛が始まったばかりの女性が、夫と長男に付き添われて施設内にいました。最初の銃声が響いた瞬間、担当医は彼女を裏口から避難させました。近隣の人々が、逃走中の彼女を助け、その途中で彼女は女子を出産しました。子どもの父親と兄、そして医師も命を落としました。母親は娘に「ナアンバムン」(神が私たちを救ってくださった)という名前を付けました。

 キリスト教系団体によれば、ナイジェリアでは信仰を理由に殺害されるキリスト教徒が世界のどこよりも多いと言います。ナイジェリアのキリスト教指導者たちは、急進イスラム主義のフラニ族による襲撃背後には、武力によってキリスト教徒の地域を奪い取ろうという意図があると見ています。どうぞお祈りください。

父と長兄が残虐に殺害されたその夜に、この少女は生まれた。母は彼女に「ナアンバンムン」(神が私たちを救ってくださった」)という名前を与えた。

米 国

7月4日、中国プロテスタント教会牧師であるジン・ミングリ師が拘束から解放され、アメリカへ出国した。彼は「シオン教会」創設者であり、中国政府にとっては有害人物とみなされていました。キリスト教人権団体「チャイナ・エイド」(テキサス州ミッドランド)は、これを確認しました。ミンリ牧師(57歳)は2025年10月、30人以上の信者ともに逮捕されました。当局は彼らに宗教の宣伝という違法行為の罪を問いました。ミンリ牧師は2007年に、未公認教会である「シオン教会」を北京に設立しました。当局は11年後に、この教会を解散させました。しかし、それにもかかわらず、数千人の信者が今なお多数の都市で礼拝のために集まり続けています。国際人権協会(IGFM)とIDEA社は、2026年1月にジン・ミングリ牧師を「今月の囚人」に指定し、彼のために祈りを呼びかけていました。

 ジン・ミングリ牧師

「チャイナ・エイド」によれば、中国当局者は今回、彼の釈放はドナルド・トランプ米大統領と中国の習近平国家主席との対話に基づくものであったと述べています。今年の7月4日、米国独立宣言250周年に際して「善意のしるし」として釈放が実現したと伝えています。「チャイナ・エイド」の創設者兼会長であるボブ・フー牧師は、これについて次のように述べています。「全能の神が、神の民の祈りを聞き入れてくださったことに感謝します。私たちの最も深い感謝は、ドナルド・トランプ米大統領、マルコ・ルビオ国務長官、そしてジン・ミングリ牧師の釈放を実現するために、背後で働いてくださったすべての米政府関係者にお礼を申し上げたい。彼らの揺るぎない神への信仰は、国際外交にも働き命を救ったことを示しています。」

イラン

イランの首都テヘランにある長老派の聖ペテロ教会は、イラン政府によって没収される危機に瀕しています。教会の敷地内に住むアルメニア人およびアッシリア人家族は、住居からの立ち退きを命じられています。礼拝に通う信者たちは、別の教会を探すよう指示されています。これは英国のキリスト教系人道支援団体「Article18」(ロンドン)が報じています。聖ペテロ教会は1876年に献堂され、それ以来150年にわたりテヘランで小規模なプロテスタント共同体として愛されてきました。当教会は、イランに住むアルメニア人とアッシリア人の拠り所です。信徒数は1979年のイスラム共和国宣言以来、大幅に減少しています。

 聖ペテロ教会

同教会の元牧師サルゲズ・ベンヤミン師が、米国の出版物「The Free Press」に語ったところによれば、そこに住む20のアルメニア人およびアッシリア人家族は、2週間以内に退去するよう指示されました。ほとんどの家族は長年そこに住んでおり、収入は低く、「教会の支援なしには、生き延びる術はない」とベンヤミン師は述べています。教会指導者たちは、「家族が要請に従わない場合、逮捕する。」と脅されていると言います。

 聖ペテロ教会と直接連絡を取っている、米国在住のイラン人長老派牧師ササン・タヴァッソリ師によれば、政権はこれまで長い間、米国の反応を恐れて、同国最古のプロテスタント教会に対して行動を起こすことをためらってきたと言います。しかし、その恐れは今や消え去りました。「Article18」によれば、「聖ペテロ教会への圧力は、1979年のイスラム共和国建国以来、プロテスタント・キリスト教が徐々に押しやられてきた最新の事例。」です。すでに10年以上前から、この教会ではイスラム教からの改宗者が礼拝参加するのを防ぐため、ペルシャ語での礼拝を中止するよう強いられています。どうぞ、お祈り願います。

オランダ

オランダで、医師が重病の子どもの命を積極的に終わらせるという事例が初めて発生しました。ソフィー・ヘルマンス保健相(自由民主国民党/VVD)が議会に報告しました。同国では2024年以降、1歳から12歳までの子どもが耐え難く希望のない苦しみを抱え、近い将来に死が避けられず、その苦痛が十分に緩和できない場合に、両親と協議のうえで積極的に命を終わらせることが可能となっています。それ以前は、1歳未満および12歳以上の子どもに限られていました。ヘルマン保健相によれば、担当の審査委員会が本件を検証し、関与した医師から聴取を行いました。現在、検察が最終的に当該医師の行為が法令に則ったものであったかを審査しています。オランダは、安楽死制度に関して最も自由主義的な国のひとつです。2025年だけで1万300人以上がこの方法で亡くなっており、これは全死亡数の6%にあたります。特に注目を集めたのは、元首相ドリース・ファン・アフト氏の死です。93歳の同氏は、2024年に妻ユージェニーとともに安楽死により生涯を閉じました。

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