恵みという名の奇跡(後編)
地獄の中でも生きる意味
一週間経ったら、必ず迎えに来るから―。深刻な病気を抱えた母は、娘ウネを孤児院に預け、一人治療のために大韓民国を目指しました。 ところが、愛しい娘との約束も虚しく、母はモンゴル国境で逮捕され、北朝鮮へ強制送還されました。母は北朝鮮の拘置所で、数ケ月に渡る尋問と惨い拷問に耐え、保衛員たちからの凌辱も受け、身も心も引き裂かれました。母は懲役3年の実刑を受け、身柄を刑務所へと移送され地獄を味わいました。毎日、多くの受刑者たちが残酷に扱われ、飢えや伝染病で、また看守たちからの虐待で生命を落とていました。亡骸はゴミのように棄てられ、そこにはひとかけらの希望さえありませんでした。これなら死んだ方がましだという思いが、何度も母の脳裏を駆け巡りました。その度に中国に残してきた幼い娘の顔が浮かび、母を支えました。中国にいた頃、母は赤ん坊のウネを連れて、よく教会へ行きました。母は教会で初めて聞いた神であるイエス・キリストの存在を思い出し、この生き地獄を耐えるには、ただイエス様にすがるしかないと思いました。イエス様はそんな母に寄り添い、苦しみしかないような中でも、生きる意味を教え、母を立ち上がらせて下さいました。母は受刑者たちに密かに福音を伝え、8人がイエス様を信じ、この8人で祈りを持って厳しい試練を乗り越え、勝利を収めていきました。やがて母は服役生活を終え、地獄から見事に生還し、今度は娘のために脱北し中国へと向かいました。
奇跡ふたたび

公安に見つかると、今度こそ生命の保証が無い母は、危険をおかしながらも中国に再び入国し、先ずは病院で検査を受けました。不思議なことに、母の病気は完全に癒されたようで、2度検査しても跡形もなく病巣は消えていました。あれほど過酷な環境に身を置きながらも、悪化するどころか完全に癒されました。神様がウネを生き返らせて下さったように、母にも奇跡を起こして下さいました。一週間後の約束が、娘と別れてからじつに3年以上の月日が流れ、母はようやくウネの待つ孤児院に到着しました。この孤児院に仕えている牧師夫妻は、神様から与った孤児たちに全てを捧げ尽くし、ウネはそんな彼らの愛と保護で大きく成長し、6歳になっていました。実はウネには養子縁組の話が持ち上がり、母が迎えに行った次の日に、彼女は養子に出される予定でした。ウネ自身も母の記憶が薄れ、当初は母が自分を養子として引き取ってくれる小母さんだと思っていましたが、実の母だと知ると、自分にも私だけのお母さんがいたのだと幼い心は喜びを噛みしめました。その後、世話になった孤児院をあとにし、母娘の長い旅路が始まりました。しばらくは、中国で隠れながら再び二人で暮らし始め、素性が知られないために母はウネに中国語で話すよう強要しました。そして、ウネと母1年後、中国からタイを経て、大韓民国へ入国しました。
遠い母
大韓民国で市民権を回復させ、何も怯えることなく自由を得た母娘は、順風満帆な新生活をスタートさせたかのように見えましたが、ウネにとっては闘いの始まりでした。母は小学校に通うウネが疎外されることなく、新しい環境や友だちに馴染めるように、今度は彼女に韓国語で話すように強要しました。北朝鮮人の血が流れていても、中国人として生きてきた複雑な出生に悩む脱北者の子どもたちのように、ウネも自分自身のアイデンティティと存在価値に混乱して生きるようになりました。母もまた、これまで受けた多くの痛みや傷を抱えたまま、誰も知らない地で一生懸命働き、一人で子どもを守らなければならない孤独ゆえに、人恋しくなるのは当然でした。母は2度結婚し、ウネには父親が違う2人の弟たちができ、母と2人だけの生活が5人家族となりました。父親が2度も変わるという不安定な家庭の中、ウネ自身も多感な思春期を迎え、彼女の精神はその環境に追いつけませんでした。家族が増え、家の中が賑やかになるにつれ、ウネには母が遠くに感じられ、自分には何の関わりもない父親や幼い弟たちの存在が、彼女を孤独へと追いやりました。
恵みという名の奇跡の子
母はさまようウネを見て、娘の心に触れることは神様にしかできないと考え、ウネを宣教会運営のキリスト教代案学校に送りました。全寮制の学校に入れられたウネは、邪魔者の自分は追い出されたのだと思い込みました。しかし、あの家にいても、居場所が無かったからちょうど良いと自分に言い聞かせました。そんなウネのために、母をはじめとする多くの祈りが彼女の背後にありました。神様は彼女の寂しい心に触れ、ウネはそこで多くの友だちと寝食を共にして学び、自分の存在価値を取り戻していきました。卒業後は教会へ通い始め、ウネはイエス様と人格的に出会うようになり、イエス・キリストと共に歩み始めました。現在、ウネは神学大学に通いながら、教会では賛美奉仕をし、弟たちと宣教の旅にも出ました。イエス様を見上げながら賛美するウネの姿は、まぶしいほど輝き、かつての彼女が抱えていた暗闇は、すっかり息を潜めていました。神様の奇跡によって息を吹き返したあの日、「恵み」という名前が新たに与えられた時から、ウネへの神様からの恵みは既に注がれていました。父なる神様は、これから彼女が出会っていく人々にとって、ウネ自身を恵みの灯として輝かせてくださることでしょう。そして、神様から何一つ受けるに値しない罪深い私たちが、カルバリの十字架による恵みによって、罪赦され、新しく変えられていくこと、それこそが恵みという名の奇跡ではないでしょうか。
ところが神の恵みによって、わたしは今の私になりました。(1コリント15:10)
(名前は全て仮名) (つづく)
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