デトロイト光シティ教会-2
米デトロイト 光シティ教会 牧師 馬越 牧
主の御名を賛美いたします。ミシガン州デトロイトでの「光シティ教会」開拓の歩みにおいて、主の豊かなお守りと恵みを覚えて感謝いたします。第1回では渡米までの導きをお分かちしましたが、今回は未知の地で開拓が始まってから直面したリアルな葛藤と、主が見せてくださった驚くべき御業、そして私たちに与えられた「宣教のビジョン」についてお伝えします。
周囲からの視線、そして「召命」の勘違い
意気揚々と始まった教会開拓でしたが、真っ先に直面した最大の試練は、私自身の内側にあった「数字への囚われ」でした。開拓教会において、出席人数や献金額といった目に見える数字は、教会の存続に直結する現実的問題です。始まったばかりの群れを、終わらせてはならないという圧倒的な重圧に加え、「どれくらい人が集まっているか」という周囲からの視線やプレッシャーも重くのしかかっていました。「今週は何人来てくれただろうか」と、目に見える結果ばかりを追いかけ、一喜一憂する日々が続きました。
しかし、打ちひしがれる中で主が気づかせてくださったのは、私自身が「牧師としての召命」そのものを勘違いしていたという事実でした。当時の私は、無意識のうちに「多くの人を集め、教会を大きく成長させる。」、ことこそが神様から与えられた牧師の成功であり、召命なのだと思い込んでいたのです。私の目は神様ではなく、生存の危機感や周囲の評価に向いていました。主はそんな私の力みを砕き、静かに教えてくださいました。「教会を大きくすることではない。今、あなたの目の前に与えられている一人ひとりの魂に、ただ忠実に仕えることこそが、あなたの召命なのだ」と。
「イベントの賑わい」の先にある、泥臭く尊い日常
デトロイトで季節のイベントや地域集会を開くと、時に数十人、数百人という規模で、日本人の皆さんが集まってくださいます。しかし、その多くがそのまま日曜日の礼拝に通い始めるわけではありません。本当の伝道とは、一瞬のイベントの賑わいではなく、もっと地道で目立たない「日々の積み重ね」の中にあるのだと教えられました。
例えば、毎週のESL(英語クラス)などのミニストリーを通して出会った方々と時間をかけて繋がりを育み、生活の悩みに耳を傾け、心に寄り添う日常です。そこで大切なのは、「教会に連れて来るため」ではなく、ただキリストの愛をもって「与える」ことです。相手の人生そのものに、純粋に関心と愛情を抱くことです。損得勘定なしに誠実に寄り添い続けていると、不思議なことに、主があらかじめ心が柔らかく準備されていたかのような人との出会いが訪れます。理由もなくスッと心が打ち解け、深い霊的な会話へと導かれていく瞬間——それこそが、主が備えておられた奇跡の時なのです。
寂しさから確信へ——「送り出す教会」としての使命
もちろん、駐在員伝道には「必ず別れがやってくる」という独特の切なさもあります。関係を築き、純粋に人生に関わり合ってきた大切な仲間が、やがて日本帰国の辞令を受け取ります。共に歩んできた人々が去っていくことは、人間的には寂しさを禁じ得ません。しかし、神様から「目の前の人に忠実でありなさい」という視点を与えられたとき、この寂しさは大きな確信へと変わりました。
私たちの教会は、人をただ囲い込む場所ではありません。異国の地でイエス様に出会い、真の愛と関わりに触れた人々を、今度は日本へと「送り出す教会」です。ここで愛され、御言葉によって養われた彼らが帰国するとき、彼らは単なる帰国者ではなく、それぞれの場所における「宣教者」となります。光シティ教会は、神の国の人材を育て、全世界へと派遣していく場所としての使命を与えられているのだと、強く示されています。
神の目の前に立ち、明日へ
『ノアは主の目にかなっていた』(創世記6:8)、という御言葉があります。ノアは周囲の評価や数字に振り回されることなく、ただ神の前に愚直に歩み続けました。人の評価や目に見える数字にとらわれるのではなく、神の前に自分がどうあるか。主が今日、目の前に遣わしてくださった一人ひとりに純粋な関心を注ぎ、限られた時間の中で惜しみなく愛を与えていくこと。デトロイトで出会う一人ひとりの人生の中に、今も神様の素晴らしい物語が紡がれています。この尊い事に深く感謝しつつ、これからも光シティ教会は目の前の魂に忠実に仕え、主の真の光を世界へと送り出し続けてまいります。

馬越牧師夫妻
皆さまの温かいお祈りとご支援に、心より感謝申し上げます。
(つづく)
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